グルジェフの印象的な言葉

 

 

グルジェフの残した言葉、彼が語った内容はどれも印象的であり、深く考えさせるものばかりだが、P.D. Ouspensky が書いた"In Search of the miraculous"(奇蹟を求めて)には特にそのようなものが多い。
なぜグルジェフの言葉が印象に残るのか?大きな理由のひとつは彼がほぼ同時代人だからだろう。彼は100年前のロシアとヨーロッパ、アメリカに現れたが、現在の日本から文化的状況がそれ程遠く隔たっていない。仏教聖典や福音書、老子道徳経、易経などのように2,000年以上も昔の遠い外国の書物は心に訴えかけるものがない訳ではないものの、やはり直接的ではない。近い時代の人が、それも目覚めた人が語る言葉は直接我々の思考・感情に響くのだ。
その中でグルジェフとウスペンスキーの興味深い会話を一つ紹介したい。これはグルジェフがいわゆる「輪廻転生」について語ったものだが、個人的に非常に印象に残った。初めて読んだ時から現在に至るまで、強烈な印象を放っていると同時に二人の会話のレベルの高さにも驚かされる。
何よりびっくりするのはグルジェフが一通り答えた後でウスペンスキーがした質問の内容(性癖について)とそれに対するグルジェフの返答の凄まじさである。
ウスペンスキーは長い間ずっと人間の輪廻転生について真実を知りたいと思っていて、ようやく答えを知っていそうな導師に出会うことができたのだが、その導師グルジェフはそれに対して常に沈黙を守ってきたのである。このエピソードが印象的なのはウスペンスキーが輪廻転生の問題について考え抜き、極限まで苦しみ、その飢餓状態が最大限になる状況をグルジェフが創り出し、その極限の頂点でグルジェフが答えを与えたところにある。真剣の日本刀での勝負に似た緊迫感が感じられて感動的ですらある。
物凄く印象に残るような状況を創り出すのはグルジェフの得意とするところであったが、彼の説いた「体系」は自動的な輪廻転生を否定しているので、以下のような劇的な会話の後でさえ彼は話をぼかそうとしている。私個人としてはやはりウスペンスキーが受け取った印象が正しいと思う。
この会話があったのは恐らく1916年、今から約100年前ロシアのペテルスブルグ(サンクトペテルブルク)という大都市でのことで、ウスペンスキーがグルジェフを知って1年ほど経った頃のことである。文中のGがグルジェフのことである。当時ペテルスブルグはロシアの首都だった。
赤字と太字は目立つように私がつけたもので、原著にはない。

 

<//-- 以下英語版 "In Search of the miraculous" からの拙訳 -->

 

この時あるとても興味深い会話があった。その時起きた全てのことを私はとても強烈に感じた;あらゆる努力にもかかわらず私は少しの間も自己想起できなかったことを特に強烈に感じたのだ。最初は何かが成功したように思えたのだが、後になるとそれは全て去ってしまい、自分が陥っていた眠りを疑いようもなく感じたのだった。私の人生の話を述べようとする試みの失敗と特にGの望んでいたことをはっきりと理解すらできなかったという事実が私の嫌な気分をさらに増大させた。しかしながらその嫌な気分は、私の場合いつもそうなのだが、意気消沈という形ではなく苛立ちという形で現れた。
この苛立ちの状態である時ゴスチーヌイ・ドヴォール(ペテルスブルグの有名な市場)の向こう側のサドヴァヤ通りにあるレストランにGと昼食に出かけた。
私は恐らくひどく素っ気なかったか逆にひどく黙り込んでいたのだろう。
「今日はどうかしたのかね?」とGが尋ねた。
「私自身分かりません」と私は言った。「ただ私たちの間では何も達成されていない、と言うかむしろ私は何も達成していないということを感じ始めているだけです。ほかの人のことを話すことはできません。でも私はあなたを理解することをやめてしまってますし、あなたももう最初の頃のようには何も説明してくれません。こんなやり方では何も達成されないと感じるのです。」
「少し待ちなさい。」とGは言った。「まもなく会話は始まるだろう。私を理解してみようとしなさい;今まで我々はそれぞれのものの場所を見つけようとしてきた。まもなく我々はそれらのものを適切な名前で呼び始めるだろう。」
Gの言葉は記憶に残ったが、私はその中には入って行かず自分自身の考えを続けた。
「それがどうしたって言うんですか?」と私は言った。「私が何も結び付けられない時にどうやって私たちは物事を呼ぶんですか。あなたは私の質問に何も答えてくれないじゃないですか。」
「分かったよ」とGは笑いながら言った。「おとぎ話で起きるように、君の聞きたいと思うどんな質問にも答えると約束しよう。」
彼が私を嫌な気分から連れ出したいことが感じられて心の中で彼に感謝したが、私の中で何かがなだめられるのを拒んでいた。
突然私は、何よりも知りたいと思っていたことはGが「永劫回帰」、生の反復と私は理解していたが、についてどう考えているかということだったのを思い出した。このことについて何度も会話を始めようとしたし、自分の見解をGに伝えようとしたのだが、こうした会話はいつもほとんど独白になった。Gは黙って聞き、それから何か別のことを話し始めたのだった。

「分かりました。」と私は言った。「循環についてどう考えているのか教えて下さい。これには何らかの真実があるのですか、それとも全くないのでしょうか。
私の意味するところは:我々はこの生を一回生きてそれから消滅するのか、それとも全ては恐らく無限に繰り返されるのに我々が知らず、思い出せないだけなのか、ということです。
この反復の考えは」とGは言った。「完全で絶対的な真実ではないが、考えられる最も近い推定だ。この場合真実は言葉に表すことができない。でも君が言うことは真実に非常に近い。それにもしなぜ私がこのことについて話さないのかを理解すれば、君はもっと真実に近づくだろう。もし人が循環を意識せず、彼自身も変わらないのなら、循環について知ることが何の役に立つのだろう?彼が変わらないのなら反復は彼にとって存在しないとさえ言うことができる。もし彼に反復について教えてもそれは彼の眠りを深くするだけだろう。前途にこんなにたくさんの時間と可能性、永遠全部がある時になぜ彼は今日努力すべきなのか?なぜ彼は今日思い悩むべきなのか?これこそがまさに体系が反復について何も言わず、我々が知っているこの一つの生だけを取る理由なのだ。体系は自己変革への努力なしでは何の意味も持たない。そして自己変革へのワークは今日即座に始めなければならないのだ。全ての法則は一つの生の中で見ることができる。生の反復についての知識は、もし人が一つの生、つまりこの生において全てがどのように繰り返すのか見ず、この反復から逃れるために自身を変えようと努力しないのなら、何も与えないだろう。でももし人が自身の内部にある本質的なものを変えれば、即ちもし人が何かを達成したなら、それは失われるはずがない。

創られたり形成されたりした全ての性癖は成長するに違いない、という推論は正しいのですか?」と私は聞いた。

正しいと正しくないの両方だ」とGは答えた。「これはちょうど一つの生において真実であるようにほとんどの場合真実だ。でも大きな規模では新たな力が入ってくるかも知れない。これについて今は説明しないでおこう。でも私が言おうとしていることを考えてみなさい:惑星の影響も変わりうるのだ。それは永久のものではない。このことを別にしても性癖そのものが異なりうる;いったん現れたら継続しそれ自身で機械的に発達する性癖があり、常に押してやる必要があり即座に弱まって完全に消滅するかも知れない他の性癖もあり、働きかけるのをやめたら夢想に変わってしまうような性癖もある。その上あらゆることには一定の時間、一定の期間というものがある。あらゆることに対する可能性は『一定の時間内だけに存在する』のだ。」(彼はこの言葉を強調した)

私はGの言ったすべてのことに凄く興味を持った。それらの多くは私が以前「推測した」ものだった。
しかし彼が私の基本的な前提を認めたという事実とその前提の中に彼が持ち込んだ全てのことは私にとって途方もない重要性を持っていた。あらゆることが即座に結びつき始めた。私は「垣間見た真理」の中で話されていた「荘厳な建物」の輪郭を見たように感じた。私の嫌な気分は消え失せていた。Gがそこに微笑みながら座っていることすら気付かなかった。
「君を変えることがいかにたやすいか分かっただろう。でも多分私は単に面白おかしく誇張していただけで、恐らく反復など全く存在しないだろう。不機嫌なウスペンスキーがそこに座って食べもしない、飲みもしないでは楽しくない。「彼を元気付けようとしてみよう」と私は考える。人を元気付けるにはどのようにしたらよいだろうか?ある人は面白い話が好きだ。別の人に対してはその人の趣味を見つけなければならない。そして私はウスペンスキーが「永劫回帰」という趣味を持っていることを知っている。それで彼のどんな質問にも答えようと申し出た訳だ。彼の聞くだろうことも分かっていたからね。」
しかしGのからかいは私に影響を与えなかった。彼は私に非常に重要なことを与えてくれたのであり、それを奪い返すことはできなかった。私は彼の冗談を信じなかったし彼が反復について言った事をでっちあげられたとは信じなかった。また私は彼の抑揚を理解できるようになった。後になって私が正しかったことが分かった。と言うのはGは体系の説明の中に反復の考えを導入しなかったものの、主として体系に近づきはしたがその後離れていった人たちの失われた可能性について話す中で何度か反復について言及したからである。

<英語版 "In Search of the miraculous" からの拙訳 終わり--//>

 

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