■グルジェフ

ゲオルギー・イワノヴィッチ・グルジェフ(左写真)は1870年前後にアルメニアのアレクサンドロポルで生まれ(生年不詳)1949年にフランスでその生涯を閉じた。
アルメニア人とギリシア人の混血である。

彼は一般に「神秘思想家」と紹介されることが多いのだが、どのような人物であったのかを手短に述べるのは難しい。
彼が属していると看做されているオカルティズム、神秘主義、エソテリシズム、宗教、超自然現象、音楽、神聖舞踏等の分野は、日本では例のオ○○事件の後公に口に出しにくい状況にあり残念だ。
しかし、昔から心霊現象、UFO、古代文明といった事柄は一般人の間でも人気が高く、超自然的なものへの関心=アブナいという短絡的な思考はバカげていると思う。(ちなみに私自身はいかなる宗教団体および類似の集団とも関係はないが...)

実際のところグルジェフは、あらゆることを知っておりあらゆることができたスーパー・マンのような人物だったのではないかと思われる。
彼には弟子がたくさんいてたくさんの本が書かれているが、信じ難いようなエピソードで満ち溢れている。
まさに存在そのものが「神秘」であったと言ってよいだろう。

彼の前半生はよく分かっていない。真理を求めてアジア・アフリカ大陸を遍歴していたようである。1912年にロシアの大都市に現れて一部の人に教え始め、その後革命から逃れるため南下して、トルコ経由でヨーロッパに拠点を求め、最終的にフランスに落ち着いた。

■グルジェフの思想

グルジェフによると、現状の人間は本来あるべき姿から程遠い存在である。外部からの出来事に反応しているだけの機械であり、意志も為す力も持っていない。一種の催眠状態にあり、地球・諸惑星・月・太陽といった環境の奴隷である。そもそも自分に対する現状把握すらできていない。そのためには様々な予備知識が必要となる。

創造の光

まず我々が何者か、宇宙全体の中でどういう位置を占め、どういう役割を担っているのかを把握しなければならない。宇宙全体における我々の位置は、左図から把握できる。
我々は地球という惑星の表面に生息している。地球は他の火星、金星、土星といった惑星群の一員である。これら惑星群は我々の太陽の周囲を公転しており、我々の太陽系の一員である。我々の太陽系は銀河系と呼ばれる星雲団の中の一員である。我々の銀河系は無数の星雲団の中の一員である。グルジェフが指摘した重要なポイントはこれら星雲団がそれぞれたくさんの太陽系の集まりということだ。宇宙のどこであろうと太陽系が基本的な構成要素なのだ。
こうした天体群は生命であり、我々には想像もできないほど高い知性と為す力を持っていることに注意する必要がある。
ここで注目すべきは最終の月であり、月はまだ生まれたばかりの赤ん坊のような存在である点だ。しかも月は地球が通常の過程で生み出したものではなく、不幸な偶然(彗星との衝突)によって生まれたものである。太陽系内の調和を維持するためにも月を通常の惑星のように育てなければならない。元々なかったところに生命を吹き込み、十分な栄養を与えて育てなければならない。
その養分・食料が地球上の有機生命体なのである。

グルジェフは人類が本来あるべき姿から程遠い低いレベルにとどまっていると考えていたが、大多数の人間が進化すべきと考えていた訳ではない。ほとんどの人々が眠りの状態にあるのは仕方のないことであるし、必要なことでもある、と考えていたのだ。彼が考えていたのはごく少数の人たちの進化であり、それこそが遠い将来の大多数のレベルアップにつながると信じていたのだ。あくまで天体の都合が優先であり、人類は従属的な立場であることを理解していた。

宇宙のエニアグラム 地球は常に惑星界と連絡を取り合わなければならないが、そのままでは連絡を取れない。ミとファの間には外部からの助けが必要とされるからである。これは他の惑星においても同様だろう。
そのために地球は特殊な装置を配置している。それが有機生命体だ。これは植物、1つの脳を持つ生物、2つの脳を持つ生物、3つの脳を持つ生物から成っている。
1つの脳を持つ生物とは所謂「虫」、つまり動作機能しか持たない生物のことである。2つの脳を持つ生物とは動作機能と感情を持つ生物のことである。犬や猫や象、ライオンなどがこれに当たる。3つの脳を持つ生物とは動作機能と感情機能に加えて考える機能を持つ生物のことで、地球上では人間がこれに当たる。
我々人類は何でも決めることができ、なんでも実行できると信じているが、そもそも生み出された目的が地球と惑星群との通信・連絡であり、人類の側に選択の自由はないのである。
我々人類は地球からの発信装置であると同時に惑星界からの受信装置でもある。この役割を果たすために人類は催眠状態にあるのだ。これには別の側面もある。もし大多数が催眠状態から開放され、目を覚ましでもしたら、月にとって致命的な事態になる。もしそんなことが起きれば地球は躊躇なく人類を滅ぼすだろう。
生きとし生けるものの図表

グルジェフの思想は宇宙全体を俯瞰したスケールの大きいものだが、「生きているあらゆるものの図表」と呼ばれる図を In Search of The Miraculous の中で提示しており、これも大変衝撃的なものであった。秘教的な匂いがプンプンする図表である。
この図を見ると我々が生物と呼ばないグループも含まれており、最も振動数の高い高次のグループから最も振動数の低い低次のグループまで宇宙全体を俯瞰できる。この図は「水素表」に基づいており、そのグループが何を食料にしているのかと何の食料になっているのかも示している。この図によると人間は無脊椎動物(1つの脳を持つ生物?)を食べ、「大天使」(太陽)に食べられていることになる。グルジェフはIn Searchの別のところで人間はもっと粗悪な水素768を食べ、月(水素12?)に食べられていると言っており、この図の説明時に「両方とも正しい」と言っている。このことは人間以外の「生物」も振動数の低い水素を高い水素に変換しているかも知れないことと関連しているかも知れない。ウスペンスキーは天使を惑星、大天使を太陽と書いている。となると永久不変は星雲団?いずれにしてもこの図を理解するには水素表の知識が必須である。

3つの図で最も示したかったことは宇宙の中の序列、人類の従属性である。これは人類がどうやっても覆すことができない真理である。ここを把握しないことには何も理解できない。
人類がどれだけ妄想を抱こうが枠組みは変わりようがないのである。


一般に接近可能な彼の思想・哲学は大きく2つあり、一つは彼自身の著した3冊の本(正確には4冊だが、彼が後生に残そうと意図的に著したのは3冊)であり、もう一つは弟子のThomas de Hartmannを通じて世に残した音楽である。
特に著書の一つ(彼自身は基本的に著述家ではないのだが、特定の目的の為後半生を著述に捧げた)である"Beelzebub's Tales To His Grandson"は本当に驚くべき内容で、日本語訳も発売されている(邦題「ベルゼバブの孫への話」平河出版社)ので興味のある方はぜひ一読をおすすめする。
グルジェフの思想を書物から学ぶ場合、前述の Beelzub's Tales が一番なのだが、非常に長い本であり、かなり難解な箇所を含んでいる。一方ウスペンスキーの In Search of The Miraculous はグルジェフ自身の講義をまとめたものなので分かりやすい。グルジェフの講義をまとめたものが他にもあり、個人的には Beelzebub、In Search、他の講義集の三本立てで学ぶのがよいように思う。それぞれに長所・短所があり、例えば Beelzebub にはエニアグラムがないし、In Search には大気の説明がない。全てをまとめ上げることが必要だろう。グルジェフはウスペンスキー以外にも彼の行った講義を書物の形で出版する者が現れることを予測していたと思う。

彼の根本的な主張は、人類の生存形態が客観的に見てあまりにも異常なので多少なりとも是正したい、ということではないかと思う。
とは言え、実際にはもっと遠大な目標である修練による進化についても語っていて、そちらの方がよく知られている。彼によると、人間は大きく三つの部分から成っており、それぞれの部分を発達させる三つの方法と三つの部分に同時に働きかける方法、合計四つの方法があるのだ、と言う。三つの部分とは考える機能、感情・感覚の機能、動作機能であり、それぞれヨーギの道、修道僧の道、肉体的苦行の道となる。
これら伝統的な道に加え、三つの部分に同時に働きかける第四の道という一時的な道があり、彼はその提唱者として知られている。
こうした修練によって何が得られるのか?肉体よりも遥かに高寿命な身体の獲得、つまりある種の不死性であり、比較にならない程拡大した意識である。


個人的に興味深い彼の考えは、科学に関するものだ。オクターブの法則や放射・発散の考え方、あらゆるものが「創造の光」という序列に基づいた起原を持つ、という発想等それまでに聞いたこともなかった理論は本当に刺激的である。(彼自身は、自分の理論・実践が遠い古代から特定の小集団に受け継がれてきたものを収集したものであり、それを伝えている、という立場をとっていたようだ)
彼の最大の功績は物事に対する正しい見方を提示したことだと思う。例えば人間の精神活動は様々な言葉で呼ばれ(情念とか心とか想像とか…)混乱していたが、それらを思考と感情の二つの中枢器官によって発せられる機能とした。源泉を明確にしたのである。また宇宙の中の人類の位置も創造の光によって明確化した。我々の住む惑星は太陽系の一部であり、我々の太陽系はたくさんの太陽系を含む銀河系の一部であり、我々の銀河系は無数にある星雲界の一部であり、その先に全ての源泉があることを示したのだ。他にも現代の日本では胡散臭く信用できないものとされている宗教には本物とそれ以外があり、本物は原初においては人類を不死へ導くものであったことを示した。また、大宗教の開祖が地球の人類起源ではなく、宇宙序列の上方からのものであることを示唆した。我々人類の様々な混乱した概念や価値観に正しい方向性をもたらした功績は非常に大きいと思う。それまでのオカルティストたちが曖昧にしか説明できなかったことを明確に説明したのだ。人体内に摂取された三種の食物を「水素」のオクターブによって説明したこと、消化ではなくより高次の物質へ変換していることなどを明確に説明してみせたことなどはよい例だろう。ウスペンスキーが気付いたように、彼の思想はある非常に精密な体系に基づいていたので、全てが関連しあっていたことも彼の教義の大きな特徴である。恐らくは彼自身が「天からの本物の使者」だったのだろう。彼が語ったことや著作、エピソード等を調べれば調べるほどとても歴史上の一思想家で片付けることのできない人物であることが分かってくる。

書物に関してグルジェフ自身は"Beelzebub's Tales To His Grandson"を最初に読むように、と主張していたようである。
恐らく「好ましからざる輩」を排除する目的ではないか、と思われるが真意のほどは定かではない。
個人的には、元弟子の P.D. Ouspensky が書いた"In Search of the miraculous"が分かりやすくて入門用にも適していると思うが、その思想の張本人が"Beelzebub"を最初に読むように、と言っているのだからそれに従った方が賢明なのだろう。("Miraculous" は理論的側面に偏っているが、現状ではこの分野は軽視されすぎているように思える。)

グルジェフは自分の死期を分かっていたのだろう。亡くなる年の初頭に、彼は過去に苦労して書き上げた「ベルゼバブ」の出版を決意する。
以下はJ. G. ベネットの自伝より引用。

私(ベネット)はグルジェフの2〜3週間後にニューヨークに到着した。それは1949年の新年のことだ。
彼はウェリントン・ホテルに腰を落ち着けており、私もそこで空き部屋を見つけることができた。
私はデラニウムの発明に関する権利のことでアメリカ特許局で開かれる公聴会に出席するためワシントンに行かなければならなかった。それでもニューヨークで5〜6日過ごすことができた、その5〜6日にはグルジェフが80歳の誕生日だと主張している1月30日も含まれている。彼は実際には80歳よりかなり若く、(グルジェフの主張した)「旧暦の1月1日の真夜中」が象徴的な誕生日以上かどうかは疑わしい。それにもかかわらずその日は全てのグルジェフの追従者によって祝われ、ウェリントン・ホテルのグルジェフの部屋で催される祝賀会のためにアメリカの様々な場所から人々が集まった。
グルジェフは「全てと何もかも」の1冊目の「ベルゼバブの孫への話」を出版することを最終的に決定したばかりだった。そして1年ちょっと前に亡くなったウスペンスキーの夫人から、ウスペンスキー自身の著作である「知られざる教えの断片(奇蹟を求めて)」も出版すべきかどうかを決めて欲しいと頼まれていた。グルジェフはウスペンスキーの著作についてはかなりの間決定せず、その本の朗読会の時に自分の思想のいくつかは「ベルゼバブの孫への話」の方がより明確に強く表されていることを指摘した。
グルジェフは最終的に「ベルゼバブの孫への話」の出版の前でなければ、という条件でウスペンスキーの本の出版にOKを出した。
グルジェフがウスペンスキーのことを個人的にどう考えていたのかは分からないが、ほぼいつもグルジェフの思想を食い物にした男として批判的に話した。生徒たちの多くを悲しみに追いやり、フェラポントフとイワノフの場合は彼らを死に追いやったと述べた。そしてもしグルジェフのもとを去って自身のグループを作ろうとしなければ惨めな死に方をすることもなかったのに、と語った。
この最後の言明はニューヨークで50〜60人の友人たちや生徒たちの前で為されたため、大騒ぎを引き起こした。ある勇敢な若者がグルジェフの前に立ち上がって言った。「もしウスペンスキーさんがいなかったら私たちは今ここにいませんよ!」
それに対してグルジェフは言い返した。「お前はここにいてなんの役に立つのか?お前も惨めな死に方をする候補者だ。」
グルジェフはウスペンスキーが過度に知的な働きかけによって彼の生徒たちを台無しにしてしまった、まだ何も準備されていない連中の方がマシだ、としばしば愚痴をこぼしていた。
一方でグルジェフはウスペンスキーの記録の正確さを褒め称えた。かつて私はグルジェフの前で「奇蹟を求めて」の前半の章を読み上げたことがあるが、彼は明らかに満足した様子で聞いていた。そして私が読み終えるとこう言ったのだ。
「ウスペンスキーのことを憎む前に:今や彼のことが大好きだ、私の述べたことをこんなに正確に記述するとは!」
(引用終わり)

グルジェフはもしかしたらウスペンスキーが後年自分の教えを本にすることを予測してうまく利用したのかも知れない。ウスペンスキーがグルジェフに会う前からグルジェフは彼のことを知っていたし、ロシア時代に種まきをしておいて、30年後に収穫した可能性もある。とは言え、ウスペンスキーが理屈の虫であることも承知していたから、理論的側面以外は期待していなかっただろうが。
ウスペンスキーはグルジェフの弟子として紹介されることが多いが、実際に一緒にいたのは8〜9年の間であり、最終的にはグルジェフの元を去って行った人間である。グルジェフは偉大な師であったが、辛らつな側面も持っており、常人の理解を超えた無茶苦茶な言動を取ることもあった。風狂の師であったと言えばよいだろうか。結局ウスペンスキーはロンドンで独自に自分の生徒を持って教え始める。バグワン・シュリ・ラジニーシは後年師匠を裏切った弟子としてウスペンスキーのことを批判していたが、グルジェフ自身が上記のエピソードにあるようにすでに存命中から非難していたのだった。やはりグルジェフはウスペンスキーが「奇蹟を求めて」を書き上げることを最初から予想していたのではないだろうか?「奇蹟を求めて」は「ベルゼバブ」に欠けている部分を補っているように思える。ウスペンスキー自身の考えを最小限にとどめ、グルジェフが語った内容が大半を占める本を死後に残したことは「裏切り者」の所業としては考えさせるものがある。
グルジェフは自分の教えが一般的になることを望んでいた訳ではなかった。と言うより、人類全体に対して働きかけた大宗教を含む運動が全て失敗したことは歴史によって証明済みであると考えていたのだ。主著の「ベルゼバブ」でも「天からの本物の使者」として仏陀、モーゼ、イエス、ムハンマド、聖ラマに対して多大な敬意を表しているが、一番重要視していた使者はアシアタ・シエマッシュという歴史的に知られていない聖者であった。彼も一般大衆には何一つ教えなかった、と書かれている。
グルジェフは圧倒的に強力な欧米にとってアジアが再び世界的に重要な地位に台頭することを予言していた。それに伴って大戦争が起きるかもしれないことを示唆・危惧していた。2020年現在アメリカと中国の緊張が高まっていることは大きな不安材料である。
2023年4月には
サウジアラビア(スンニ派のリーダー国)とイラン(シーア派のリーダー国)の国交正常化・和解というびっくりするようなニュースが世界を駆け巡った。そしてその和解はイエメン内戦やシリア内戦にも影響を及ぼしている.。この和解は中国の仲介によって達成されたのだ。これによってイスラム諸国が一枚岩となり、ロシア・中国・中東・アフリカ・インドのアジア・アフリカ勢とヨーロッパ・アメリカ勢の2つに世界は大きく分断され、孤立したイスラエルやパレスチナを巡って大戦争が起きるかも知れない。グルジェフの主著"Beelzebub's Tales"には宗教という章に次のようなくだりがある。

「ムハンマドの宗教のこれら2つの教派はスンニ派とシーア派と呼ばれている。
ここで次のことに注目するのも非常に興味深いだろう。
つまり、全く同一の宗教のこれら2つの独立した教派に属する人たちの中にお互いに形成された精神的憎悪は、頻繁に起こる衝突のせいで今や完全に有機体の憎悪へと変容されてしまっているのだ。
この数百年の間この奇妙な機能の特異な変容の発生の一因となってきたのは一定のヨーロッパの国家の人たちの扇動なのだ。
彼らは全く同じ宗教のこれら2つの独立した教派に従う人々の間の敵意が増大し、絶対に団結しないようにするためにこの扇動を用いてきたし、今も使い続けている。何故ならもし2つの派閥の団結が起こってしまったら、そうしたヨーロッパの国家にとって終わりがすぐにやって来るかも知れないからだ。
要は中東の普通の3つ脳を持つ生物の半数近くがイスラム教徒であり、彼らの間でこの相互憎悪がある限りのみそれはヨーロッパの国家にとって「相互殺戮」(戦争の意味)の意味で恐ろしいことは何もないことを意味するからだ。それ故にこれらスンニ派とシーア派の間で火花が飛び交う時あの偶然生じた「焼きたての」国家はいつも手を擦り合わせて大喜びするのだ。そうなればヨーロッパ人たちは自分たち自身の長期にわたる安全な生存を期待できるからだ。」

またグルジェフはロシア革命前ウスペンスキーを含むグループに対して次のような興味深いことを述べている。

「人類の歴史の中には、民衆が取り返しのつかないほど理性を失い、何百年、何千年にも渡って創り上げられてきた文化のあらゆるものを破壊し始める時期があり、それは一般的に文化と文明の衰退の始まりと同時に起こる。
そのような集団的狂気の時期は、しばしば地質学的な大変動や気候の変化、地球規模の同様な現象と同時に起こり、非常に大量の知識の物質を放出する。この放出のせいで今度はこの知識の物質を集める仕事が必要になる。そうしないとその知識の物質は失われてしまうだろう。
このように、散らばった知識の物質を集める仕事は高い頻度で文化と文明の衰退と破壊の始まりと同時に起こる。」

つまり要約すると次のようになる。

大戦争
 
文化と文明の衰退の始まり
 
地質学的な大変動や気候の変化、地球規模の同様な現象
 
非常に大量の知識の物質の放出
 
散らばった知識の物質を集める仕事


これら5つの事柄が同時に起こるということである。2023年現在の状況を考えると非常に興味深いことが分かるだろう。


■チベット

個人的に興味を覚えたことの一つは、彼がチベットに注目していたことである。
チベットは2004年末現在でも世界の秘境という印象がここ日本ではある。
中国に占領されてから何十年も経つが、今はどうなっているのだろうか?
グルジェフによると、チベットは四方を険しい高山に囲まれた地形の為歴史的に他文化の悪影響を受けずに近年まで存在したきた、とのことである。
"Beelzebub's Tales To His Grandson"にそのことが記述されている。
鎖国時代のチベットには何人かの外国人が潜入しており、面白いことに書物の形でその印象を著述している。
我が国でも河口慧海や多田等観の本が知られている。


↑魔術師のようなグルジェフ
   

鎖国下のチベットへの潜入者たちが口を揃えて記述していることの一つに、当時のチベットには気候を統御できる行者がいた、ということである。グルジェフがこのことについて直接言及しているのを聞いたことはないが、これは彼の主張していた「大気」に関連しているように思う。
彼によると、この世のあらゆるものは「放射しており」、人間にも固有の放射が存在している。なぜ全てのものが放射しているのか、というとこの世のあらゆるものは物質変換のために存在しているからであるらしい。
人間の大気を構成する物質は惑星の大気中の物質と関連しあっているようで、このことを知った古代人が気候を統御する術を見つけ出し、それがチベットの行者にも伝わったのだろう。

なお、"Beelzebub"には「宗教」という独立した章があり、その中で仏教の奥義を伝承してきた秘密の7人の集団についての興味深い記述が見られる。この秘密の7人の集団は何千年も前にインドに出現した「天からの本物の使者」である聖クリシュナカルナによって結成され、その後同様な「使者」である聖仏陀が現れた時その教えが本質的に聖クリシュナカルナの教えと矛盾しないばかりかその時代により適した教えであると判断し、仏陀の信奉者となった。その後同様な「使者」である「聖ラマ」(恐らくツォンカパのことではないかと思われるが、ひょっとしたらミラレパかパドマ・サンバーバもしくは他の聖者かもしれない)がチベットに現れた時、同じくその教えが本質的に聖仏陀の教えと矛盾しないばかりかその時代・地域により適した教えであると判断し、聖ラマの信奉者となり、その後チベットに20世紀初頭まで存在していたとのことだ。
↑犬猫とくつろぐグルジェフ
 

1903年にヤングハズバンドに率いられたイギリス軍が地形的に侵略不可能と言われていたチベットに侵攻し、その過程で流れ弾が偶然7人集団の指導者に当たってその僧侶が死亡してしまった。
残された6人は最終的な奥義伝授を受けていないうちに不意にその指導者を失って慌てふためき、自暴自棄な行動に出た。
つまり自分たちの持つ特殊な「放射」を亡くなったその指導者の遺体に三日三晩注ぎ続け、そうすることでその指導者の精神と連絡を取ろうとしたのである。
この死者との交信には特殊な事前の準備と条件が必要で、そのことをこの6人の僧侶たちは知っていたのだが、指導者の死があまりにも突然だったため仕方なく前述の方法に望みをかけたのだった。
がしかし事前の準備がなかったために彼らの交信術は期待した結果を生まず、「特殊な放射物」だけが指導者の遺体に無秩序に蓄積され、また偶然その儀式を執り行っていた地域の上空に強力な雷雲があったため、この二つの物質は当然のごとく物理的な接触を、つまり凄まじい落雷とそれにともなう大爆発が発生し、残されたこの6人の秘教伝導者も亡くなってしまった。
(その爆発は1平方キロメートル内の全てのものを粉々にするほど強力だったらしい)

グルジェフはダライ・ラマを頂点として僧侶に実権があったチベットの社会を「秘教的文明」と捉えていたようで、地球上ではかなりまともに近い社会・国家と考えていたようだ。
"Beelzebub"にはイギリス軍に侵攻される直前のチベットが、仏教への理解度と修行への渇望の度合いに従って形成された社会で、「或る者たちは既に(クンダバッファー器官の特性の結果からの)解放を達成しており、他の多くの人々も達成への途上にあり、たくさんの人々がいつかはこの達成の道に到達しようと夢見ていた」と記している。
クンダバッファー器官云々というのは"Beelzebub"の創作だが、さまざまな潜入記を読むとこの記述があながち的外れでないことが分かる。
アレクサンドラ・デビッドニールの書物には、特定の僧院で非常に特殊な訓練が行われていたことが書かれている。
例えば「ルンゴム」と呼ばれる特殊な走り方があり、その走法だと非常に長い距離を物凄い速さで長い間疲れることなく走ることができるのだが、それを実行するには特殊な訓練を行い一定のトランス状態になることが要求される。
そのトランス状態を達成するには、特定の呪文を唱えその音節に合うリズムで歩行し、同時に特殊な呼吸法を行わなければならない。
仏教だけでなくこうしたことも僧院で教えられていた特殊な社会がチベットだったのである。
 
↑旅行中のグルジェフ

■エニアグラム

話は変わるが、人間のタイプの分類に「エニアグラム」という図形が用いられることがある。
一般にもよく知られているこの図形は、実はグルジェフによってもたらされたものである。
現在インターネットで「エニアグラム」を検索すると山ほどヒットする。
そのほとんど全ては性格分析・人間のタイプに関するページである。
グルジェフが知ったら大笑いしたことだろう。いや、多分彼のことだからこうなることを予測していたかもしれない。

日本で「エニアグラム」というものが一般に知られるようになったのは、多分1981年〜1982年頃のことだろうと思う。
(私自身もその頃知った。)
無論知っていた人はそれ以前にもいただろうが、多分ほんの一握りの人たちであったと思われる。

「エニアグラム」というのは左のような図形のことで、G.I.グルジェフによって西欧世界にもたらされた。
グルジェフがもたらさなかったら、多分今でもどこかの秘教グループの間で保持されていたことだろう。
一般的に知られるようになったのは、グルジェフの元弟子のP.D.ウスペンスキーの著作"In Search of the Miraculous"によってであると思われる。1949年のことである。

"In Search of the Miraculous"は実際にはウスペンスキーの著作というよりはグルジェフの講義録で、大半がグルジェフの言葉で占められている。この本が日本で「奇蹟を求めて」として平河出版社から発売されたのが1981年のことなのである。
(浅井雅志氏の翻訳になるこの書物は今でも大きな書店に行けば入手可能と思われる)

エニアグラムと性格類型論を結び付けた張本人は Oscar Ichazo という名のボリビア人らしい。
その後 Don Richard Riso というアメリカ人心理学者によって、一般にも爆発的に知られるようになったようだ。
だがウスペンスキーの著作を読めば分かるようにエニアグラムというものは元々性格類型学とは何の関係もない
本来は秘教、エソテリシズム、神秘主義といった分野のものであり、一般社会とは無縁であるはずのエニアグラムがこのように大衆的人気を集めるというのは大変興味深い。

P.D.ウスペンスキー(右写真)の「奇蹟を求めて」は、前述のとおり実質的にグルジェフの講議集であり、その中でエニアグラムについて触れている箇所がある。
それによると、エニアグラムはこの宇宙の基本法則である3の法則と7の法則の構造を示す象徴である。
なぜ Oscar Ichazo がこれを(彼はエニアグラムではなく、エニアゴンと呼んでいたようだが・・・)性格類型論と結び付けたのかはよく分からないが、結果としてその理論はアメリカ大陸の人々の心を捕らえるのに成功したようだ。
アメリカは現時点において最も影響力のある国家なので、性格類型論と結び付けられたエニアグラムは今や世界中に広まっている。
グルジェフ自身はエニアグラムの起原についてはっきり述べなかったにもかかわらず、多くのエニアグラム関連のWEBサイトには「2000年以上前に古代オリエントの地で発祥した」とか「古代ギリシアに起原を持つ」とか「5000年におよぶ口伝として中近東に伝えられた」とか「2000年前のアフガニスタンに起原を持つ」等と書かれており笑ってしまう。
今ではビジネスとも結び付けられているようで、その急速な大衆化はまるで"Beelzebub"を読んでいるようである。
"Beelzebub"には、地球上であらゆる時代にさまざまな教えがすぐ「新興の」輩によって原形をとどめないほどに歪められ、オリジナルと正反対のものへと変化してゆくことが繰り返し述べられている。

■絶望的な現状

3の法則とは、あらゆる現象が能動的力、受動的力、中和的力の3つから成り立つ、というもので、この考え自体は目新しいものではない。
7の法則とは、グルジェフによるとこの宇宙は振動から成り立っており、その振動を司る法則が7の法則であるとのことだ。
"Beelzebub"ではこの法則について繰り返し述べられていて、独立した章まで割り当てられている。
興味深いのは、何千年か前に月に最終的に大気が形成されたため地球上に強風が吹き荒れた時期があり、その風によってそれまでアジア大陸上で隆盛を誇っていた二つの巨大国家のティークリアミッシュとマラルプレイスィーが砂に埋もれた、というくだりだ。
ティークリアミッシュはカラ・クーム砂漠となり、マラルプレイスィーはタクラマカン(著書ではゴビ砂漠と書かれている)砂漠となったのだが、マラルプレイスィーの住人は東へ移動し最終的に現在の中国の祖先となった。その頃双児の王子がその集団の中におり、彼らが7の法則を再発見した、と記述されている。(※東に移住したのは王族とその従者+α(黄色人種?)であり、白色人種の多くは西へ移動したようです。西へ移動した人たちの一部がヨーロッパの起源となったようです。)
当時は「九重性の法則」と呼ばれていた、と書かれており大変興味深い記述である。
グルジェフは古代文明にも我々の眼を向けさせたが、残念なことに中南米の遺跡については何も語らなかった。
個人的には一部の人々が主張したように、古代中国から舟で渡った人々が起源ではないかと思う。恐らく王朝の交代期等戦乱から逃れた人たちが起源ではなかろうか?
もちろん何の確証もないし、ただの憶測ではあるが。

"Beelzebub"によると、地球に大気が形成される前にある彗星と衝突し、地球から大小二つの破片が飛び散った。幸いなことにその二つの破片は地球の引力圏内に留まり、大きい方は月と呼ばれ小さい方はアヌーリオスと呼ばれたが、アヌーリオスはじきに忘れ去られた。更なる惨事を避けるには月を惑星として成長させるしか道はなく、この突然出現した天体に生命を与え、安定して成長させる必要性がある。
これが我々地球上の三つの脳を持つ生命、つまり人類が置かれている現状であり、このことが原因で様々な不幸が地球上に発生してきたのだと言う。
三つの脳を持つ生物は正常な生存を続けるうちに自分たちの生存の意味、つまり月に対する従属的な立場に気付いてしまい、月の正常な成長の障害となる恐れがあったため、我々の祖先にはクンダバッファーという器官が取り付けられた。この器官は現実をあべこべに知覚し、外部から繰り返し入ってくる印象に対して心地よさを感じさせる、という特性を持っていた。しばらくして太陽系内が安定し、地球から飛び散った二つの破片が順調に成長し始めたため、クンダバッファー器官は取り去られたのだが、その特性の結果が体内で結晶化してしまい、これが原因で異常な生存状況が生まれた。
人類に課せられているのは本来「意識した労働と意図的な受苦」から生まれる波動を発することなのだが、それが期待できなくなったため惑星地球は別の方法で月の空腹を満たしてやらなければならなくなった。
「奇蹟を求めて」には次のようなグルジェフの印象深い言葉がある。
「過去数百年間の機械的な事物における進歩は、おそらく人類にとって最も大切な多くのものの犠牲のうえに進められたのだ。全体的に言えば、あらゆる点から見て人類は行き詰っており、この行きづまりからは下降と退化への一直線の道が続いていると考えられる、いや断言することができる。」
「我々は自動性の増大を目にする。現代文明は自動機械を必要としている。そして人々は獲得した自立の習慣を疑いの余地なく失い、自動人形に、機械の一部になりつつあるのだ。これらすべてがどこまでいったら終わるのか、また出口はどこにあるのか、いやそれどころか終わりや出口があるかどうかさえ言うことはできない。一つだけ確かなことがある。人間の隷属状態は拡大しつづけているということだ。」
つまり惑星地球の三つの脳を持つ生物(人類)からは本来発散されるべき放射が現在もこの先も当面期待できないということだ。
あまりにも環境に貢献しなければ惑星地球は「役立たず」を滅ぼすかも知れない。それでなくても前述のように人類の今の文明は末期的症状を呈している。
このまま行けばいつもどおり戦争と天変地異によって大半が破壊されるだろう。
現在多くの人々がテクノロジーの進歩こそ文明の進歩と信じているが、それは人類を退化に導いているのかも知れない。グルジェフは太古の昔から人類は殺し合いを定期的に続けてきたことを述べているが、それでも先の大戦程の規模のものは一度もなかったと言っていた。先の大戦では初めての核兵器の使用があり、初めてのミサイルの使用があった。いとも簡単に短時間で多くの人間の生存を破壊できる時代になっているのである。当然惑星地球もそのことは承知しているはずであり、そのことをうまく利用するかも知れないし、「鳴かぬなら…」となるかも知れない。
"Beelzebub"では過去に2回大きな天変地異があったことが述べられている。最初はアトランティス沈没であり、これは前述のとおり地球にある彗星が衝突して地球から大小二つの破片が飛び散ったことにより、地球の重心が誤った位置にあったことによるものであり、アトランティスを地中にめりこませ、新たな土地を隆起させることによって重心を正常に戻したと説明されている。これによって大多数の人類が死滅した。
2回目も前述のとおり月に大気が形成されたため地球上で大嵐が発生し、高い山から低地に土が運ばれ、結果としてその時まで隆盛を誇ったティークリアミッシュとマラルプレイスィーが砂に埋もれた。
この時は直接大量の死が発生することはなかった。(移動の途中で死んだ人はたくさんいただろうが…)
"Beelzebub"では一切触れていないが、これらの文明の消滅には人類が地球に与えた悪影響も関連しているのではないかと思う。恐らくは両文明ともそれなりにテクノロジーも発達していたのではないかと思われ、それやその他諸々が地球にとって都合が悪かった可能性はある。その観点から現代文明を考えると、地球は決して歓迎していないだろう。(つまりアトランティスやティークリアミッシュ、マラルプレイスィーの滅亡には惑星地球が意図的に滅ぼした側面もあったのではないか、ということ)
本来地球は人類の生息を必要とし、それぞれの場所で一定の死を必要としている。だからアトランティスの時は大幅な過剰が生じたはずである。しかし"Beelzebub"ではそのことについて全く触れられていない。もしかしたらその時期に大量の死が必要だったのかも知れない。一方で人類が多産であり、短い期間に人口が増えたことが何度か述べられている。惑星と人類の時間感覚の差を考慮すると、一時的に「死」が溢れても問題ないのかも知れない。だとすると現代文明もヤバイ。
しかしより客観的な観点に立つと、人類の文明がどのような形態を取ろうと結果的には地球や他の惑星群、月、太陽にとって都合がよいであろう。我々は所詮こうした環境の奴隷であり、そうした天体群は人類を遥かに凌ぐ知性と為す力を持っているからだ。ウスペンスキーは「奇蹟を求めて」でこう書いている。
「Gは、有機生命体の薄いフィルムの中で何が起ころうともそれは常に地球、太陽、諸惑星、月の利益に貢献するのだという事実を絶えず強調した。有機生命体の薄いフィルムの中では不要なことや独立したことは何一つ起こりえない、というのはそのフィルムはある明確な目的のために創り出されたからであり、単に従属的だからである。」
この観点から最近の人類のお気に入りの話題である「地球温暖化問題」を考えると興味深いだろう。我々は地球や他の環境の飼う羊に過ぎないことが分かっていないのだ。

先に述べたP.D.ウスペンスキー(左写真)の「奇蹟を求めて」には、最後の晩餐がイエス・キリストによって行われた魔術的な儀式だったとか、人間の摂取する食物は通常の食物と空気と印象の3種類であるとか、興味深い記述がたくさんある。
もちろん3の法則と7の法則についても詳しく述べられている。
興味を持たれた方はぜひ一読をおすすめする。
ただしグルジェフの主張するように"Beelzebub's Tales To His Grandson"をまず読んだ後で!

また、グルジェフの音楽は比較的容易に入手できるので、興味を持たれた方は CD を買って聴いてみられてはいかがだろうか?(さまざまなアーティストが出している)
リリースされているのは大半がピアノの演奏で、なかなか印象深い曲も多い。
ちなみにグルジェフ自身のハーモニウム演奏が収められた CD も販売されていて、彼の肉声や貴重なカラー動画も見ることができる。

 

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