■アーティスト:BREAD (ブレッド)

管理人の評価:★★★★★

 

■ディスコグラフィー
Lost Without Your Love (1977)
その他コンピレーション盤
ライブ等
ブレッド・ホーム

 

 

 
どんな音楽?
 
70年代アメリカ西海岸のソフト・ロック。 (エア・サプライの70年代版と言ったら怒られちゃうかな?クリストファー・クロスなんかも近いかも)
爽やか系の音で歌メロ中心、聴きやすい。重苦しい曲は皆無で短い曲ばかりなので気軽に入り込める。
ブレッドについてよく言われるのは、ソフト・ロックの代表格の烙印を押されているが、それはデイヴィッド・ゲイツの作品がヒットしたことによって形成された一面的な評価に過ぎず、実際はジミー・グリフィンとロブ・ロイヤーのコンビによるパンチの効いたロック・バンドという側面やブリティッシュ風の音も時に聴かせるという側面が無視されている、ということである。
しかし私のようなアメリカン・サウンドが苦手な人間からしたら、やはりブレッドはメロディーを重視した大人しめの音を出すグループであり、デイヴィッド・ゲイツの甘く切ないメロディーとボーカルが最大の魅力だろうと思う。大半が3分以内のポップソングで聴きやすいのも敷居を低くしている。
曲はアコースティック・ギターやストリングスをバックにしっとりと歌い上げる静かなバラードと元気の良いドラムスやエレクトリック・ギターをフィーチャーしたロックっぽいものに大別されるが、ほとんどの曲はボーカルのメロディーを重視したポップな作りになっている。
70年代のアメリカン・ナチュラル・サウンドが好きな人にはたまらないバンドだろう。
演奏的には特に光るものはないが、強いて言うならマイクの元気一杯のドラムスとラリーの卓越したキーボードが秀逸。またデイヴィッドによる?アコギのアルペジオも当時のフォーク流行の時代において一定の影響を与えたようだ。
 
代表曲
※全てデイヴィッド・ゲイツの作品

Dismal Day (灰色の朝:日本のみ1972年にヒットし、当時の世代には絶大な人気を誇る)
It Don't Matter To Me (気にしないで:1970年9月に全米10位の大ヒット)
Make It With You (二人の架け橋:1970年6月に全米 No.1 の大ヒット)
If (イフ:1971年3月に全米4位の大ヒット、今やスタンダード・ナンバーとして知られる名曲で日本でも人気が高い)
Let Your Love Go (レット・ユア・ラヴ・ゴー:1971年1月に全米28位のヒット)
Baby I'm-A Want You (愛の別れ道:1971年10月に全米3位の大ヒット)
Everything I Own (涙の思い出:1972年1月に全米5位の大ヒット)
Diary (ダイアリー:1972年4月に全米15位のヒット)
The Guitar Man (ギター・マン:1972年7月に全米11位のヒット)
Sweet Surrender (スウィート・サレンダー:1972年11月に全米15位のヒット)
Aubrey (オーブレー:1973年2月に全米15位のヒット)
Lost Without Your Love (愛のかけら:1976年11月に全米9位のヒット)

 
メンバー
 

Jimmy Griffin (マルチ奏者 ※ジミーはジェイムズの愛称)
Robb Royer (71年に脱退:マルチ奏者)
David Gates (マルチ奏者)
Mike Botts (70年に加入:ドラムス担当)
Larry Knechtel (71年に Robb Royer に代わって加入:マルチ奏者)

 
概要
 

■結成
ソングライターやセッションマンとして既にある程度の成功を収めていたデイヴィッド・ゲイツは1967年に The Pleasure Fair というグループのアルバムのプロデュースとアレンジをした。その仕事を通じてザ・プレジャー・フェアーのメンバーだったロブ・ロイヤーと意気投合し、ロブとソング・ライティング・チームを組んでいたジミー・グリフィンと共に3人でブレッドを結成した。プレジャー・フェアーの同名タイトルアルバムは商業的に不発に終わりグループは自然崩壊、そこで1968年にデイヴィッドがロブ/ジミーのコンビを誘ったというのが一般的な説のようである。
この3人がオリジナル・メンバーであり、ドラムス担当は当初いなかった。

■成功と解散
3人はエレクトラ・レコーズと契約し69年の夏に最初のシングル Dismal Day をリリースするがチャートインせず、秋にリリースしたファースト・アルバムもビルボードで127位と商業的には振るわなかった。
ところが翌年マイク・ボッツをドラマーとして迎え入れて制作した On The Waters が大当たり、夏に出した Make It With You が全米 No.1 に輝き、秋には録音し直して再リリースしたた It Don't Matter To Me が10位まで上り詰めた。
3作目の Manna からも If が全米4位の大ヒットとなりブレッドの名声は決定的となるが、デイヴィッドの曲ばかりが成功して持ち上げられることに不満をもったロブがグループを脱退、代わりに売れっ子スタジオ・ミュージシャンのラリー・ネクテルが加入した。
その後も出す作品はコンピレーション盤も含めてほとんどが成功に終わったのだが、ツアーとレコーディングに明け暮れる日々への疲弊やデイヴィッドとジミーの間の人間関係上の軋轢等から74年までにいったん解散する。
76年に何故か突如再結成しアルバムを1枚発表してツアーも行うが、かなりの成功を収めたにもかかわらずバンドは最終的に解散した。
アルバムを聴けば分かるが、やはり同一バンド内に二つの全く異なる勢力が同居したことがこのグループの崩壊の原因だろう。
デイヴィッド・ゲイツは曲作りもせずボーカルも担当しない格下のメンバーと組むべきだったし、グリフィン/ロイヤーのコンビは別のバンドでやるべきだった。グリフィン/ロイヤーは素晴らしいソング・ライティング・チームだったが、相手がデイヴィッド・ゲイツでは分が悪すぎたのだ。しかも両者にとって最悪(?)だったことに、グループはデイヴィッドの曲で非常に大きな成功を収めてしまった。まあこの成功によってメンバーは富と名声を手に入れたのだから、全てが最悪だったとは言えないが、ヒット曲が例外なくデイヴィッドの曲であるという事実はグリフィン/ロイヤーのコンビにとって冷酷な現実であったことだろう。多くのブレッドファンが指摘しているように、グリフィン/ロイヤーの曲にも光るものがあったのは事実である。問題は全く雰囲気の異なる曲が全く声質の違うボーカリストによって歌われ、それらが同じバンド名の下に共存していたことだ。要は二つの勢力が全く別の音楽性を志向していたのであり、しかも片側ばかりが持ち上げられて商業的な成功を収めれば分裂するのは必然であったと言えるだろう。

■参考リンク
Sound of Bread YZ氏による思い入れたっぷりの素晴らしいページ
http://www11.ocn.ne.jp/~bread/frontpage.html

BREEZY 氏のページ(貴重な日本盤シングルの写真満載)
http://breezypops.hp.infoseek.co.jp/pick-d_b.htm

John L's Bread Pages (英語ページ:情報満載のおすすめページ)
http://www.jlindquist.net/bread/index.html

BreadFans Web Site (英語ページ:2009年から更新が途絶えているようです)
http://www.breadfans.com/

David Gates & Bread - The Unofficial Site (英語ページ:ここ数年更新されていないようです)
http://homepage.ntlworld.com/deanadshead/bread/

Bread Fans Web Site - Dedicated to Bread, their music and their fans (英語ページ:2002年から更新されていないようです)
http://bread.mid-tn.com/

 
 

 

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